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佐賀県

朝鮮出征のためだけに作られたお城:名護屋城址

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佐賀県唐津市鎮西町に名護屋城址はあります。名護屋城は豊臣秀吉が文禄の役、慶長の役の際、出征の拠点として築城したお城です。現在ではお城の建物はなく、広大な石垣だけが現存しています。

豊臣秀吉により、1592年から1598年にかけ、朝鮮に向けて軍隊が派遣されました。その目的は朝鮮半島の征服です。文禄の役に続き、慶長の役では戦局は膠着状態となり、豊臣秀吉の死をもって、日本軍は撤退しこの戦は終結しました。

名護屋城址を訪れますと、朝鮮出征のためだけに作られたお城の割には、その大きさにとても驚かされます。現在では石垣しか残っていませんが、豊臣秀吉の朝鮮半島に対する野望の大きさがひしひしと伝わってきます。逆に歴史を学んだ者にとっては、名護屋城址が大きければ大きいほど、当時の豊臣秀吉の野望の無謀さを感じずにはいられません。

名護屋城址には佐賀県立名護屋城博物館が隣接しており、その歴史や背景を学ぶことが出来ます。そこで、私は当時の大名が名護屋の地に陣を構えた多さに驚かされました。上杉景勝、黒田長政、福島正紀、前田利家、毛利秀頼など、日本のそうそうたる武将が名を連ねます。それはまさに当時の豊臣秀吉の権力の大きさを物語っています。
名護屋城址は玄界灘を見渡せる高い所に位置しています。天気の良い日には加唐島、そして壱岐まで見渡せます。まさに朝鮮出兵に関しては立地的に良い条件だったのでしょう。当時は朝鮮出兵のおかげで、この唐津の地はまるで都のように栄えたといいます。しかしながら、現在では大変静かな場所になっているというのも、何とも感慨深いですね。

名護屋城のまわりでは、その昔、二度にわたり元からの攻撃を受けた際の元寇防塁が残っています。また、名護屋城址から車で1時間ほど行ったところにある鷹島では近年、元寇の際の元の軍艦が海底から発見されました。名護屋城址の他、昔の日本と大陸との関係を表す遺跡がここ九州では多く見ることが出来ます。
名護屋城の近くには、イカなどで有名な呼子があります。九州観光の玄関口、福岡市からも車で1時間強で行くことが出来ますので、秋のドライブコースには最適です。歴史の探索をかねて、一度訪れてはいかがでしょうか。

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