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広島に観光するなら「戦国最高の知将」とも呼ばれる毛利元就の吉田郡山城跡へ

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広島(安芸)の国人領主から西日本の戦国大名に成長した、「戦国最高の知将」とも呼ばれる毛利元就をはじめとする、毛利氏の居城だったところです。

吉田郡山城跡とは

室町時代初頭にはすでに城があった模様です。毛利元就の時代、それも元就の晩年のころに、郡山全体を山城としたものに拡張したようです。

毛利元就が亡くなり、毛利輝元が毛利家の当主になった後、輝元が広島城を築城して本拠地を広島城に移すまで、毛利家の本拠として使用されたようです。

広島城に毛利家の本拠が移ったあとも、しばらくは城自体は存在していたようですが、1615年(慶長20年)に江戸幕府が出した、一国一城令により、取り壊されたとのことです。

完全な山城です。本丸があった郡山の頂上へは、まぁまぁの登山道となります。頂上には、あくまで本丸「跡」となっていますので、石垣以外の構造物はほとんど残っていません。
登山口には毛利元就をはじめ、毛利一族の墓があります。つい先日も行ってみましたが、なかなか荘厳な雰囲気です。なんとなく写真を撮るのもはばかられるような雰囲気です。

登山口付近までは車で上がることができ、付近に駐車場があります。「安芸高田少年自然の家」と呼ばれるキャンプ場(?)の敷地内の道路をあがってゆけば、登山口に行くことができます。

また、麓には、歴史民俗資料館があります。あわせて見学されるとよいとおもいます。

本丸跡まで登られる方は、そこそこの登山の準備をしてゆきましょう。山城なだけあって、なかなかの急こう配と、足元の悪さです。
登山口から毛利一族の墓までの道は比較的キレイに整備されていますが、そこから奥については、石畳であったり、土がむき出しの道であったり、ときどき崩れていたり、非常に歩きにくい道になっているようです。

市の中心部からは歩いていけるぐらいの距離ですが、あまり大きな街ではないですので、ここ(安芸高田市)まで公共交通機関で行くというのはあまり考えないほうがいいとはおもいます。

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