日本の歴史スポットのレビューを紹介しています。家族のお出かけにもデートにも。歴史は刺激いっぱい、学ぶことも沢山あります。

興福寺の口コミ・感想

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興福寺の口コミ・感想です。

知られざる興福寺の三重の塔

満足度
ニックネーム キューピーさん
レビュースポットの場所 奈良県奈良市
世界遺産の興福寺には外国人を含めて多くの観光客が訪れています。興福寺の見所と言えば、いずれも国宝に指定されている五重の塔と東金堂が並び建つスポットで、撮影ポイントとなっています。ここを見学した後は、北円堂や南円堂に向かい、多くの人は興福寺を去り、東大寺や春日大社に向かっていきます。
しかし、この興福寺には知られざる3重の塔もあるのです。この三重の塔は、鎌倉時代に建設されたもので、興福寺に現存する歴史的建造物の中では、国宝の北円堂と同時代で最も古い物です。境内をくまなく散策し、小さな三重の塔を探して見るも楽しいでしょう。

日本初の公の福祉施設

満足度
ニックネーム さばまめ
レビュースポットの場所 奈良県奈良市興福寺の悲田院
東大寺大仏建立の聖武天皇の皇后である光明皇后様がお作りになられたのが藤原氏といゆかりのある興福寺にたてられた「悲田院」という福祉施設です。悲田院は仏様の御教えの慈悲の考えを実行する場としてその後様々な寺院で、貧しい人や孤児をすくう目的で建てられています。光明皇后は皇族でない藤原氏の出ということで、色々な政争にいやでも巻き込まれていったことが想像できます。血なまぐさい政争や肉親を若くに亡くし佛教に帰依することで国家安泰とともに心の安らぎを生涯求められていたんでしょうね。

阿修羅像を見てきました。

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ニックネーム 豆狸
レビュースポットの場所 奈良県奈良市
テレビでもよくみる有名な阿修羅像を見てきました。人間離れしたお顔の仏像が多いですが、この阿修羅像はまるで少年や青年のような精悍なお顔です。モデルがいるのではないかと思うほど、生き生きしています。
興福寺はJR、近鉄の奈良駅からすぐ近くなので、周りには飲食店やお土産屋さんもたくさん。
そして、奈良のシンボルとも言える動物、鹿もたくさん。お寺を見学した後は鹿と戯れました。
美しい仏像と可愛い動物!楽しかったです。

創建当時の姿を取り戻しつつある興福寺の現在

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ニックネーム 肉食ライター
レビュースポットの場所 奈良県奈良市奈良公園
秋風や囲いもなしに興福寺。正岡子規の有名な句が明治以降の興福寺の受難を雄弁に語っています。現在の奈良の市街のほとんどどが興福寺並びに東大寺の敷地であったということに思いを馳せることの出来る旅人が果たしてどれくらい居るでしょうか。明治維新以後のいわゆる廃仏毀釈により、古代から絶大な権力を誇っていた南都の仏教勢力は完全にその力を剥ぎ取られました。中世には延暦寺と並び、北嶺南都と称された日本の仏教の中心であったのに。私が最初にここへ訪れたのは小学校の遠足でしたが、社会の構造を理解し始めた年頃だった私の目から見ても、すごい寺院だということは素直に理解出来ました。特に五重塔が印象的でした。それまでテレビや写真でしか見ることが出来なかった日本を代表する建築物を目の当たりにして興奮したことを覚えています。でも次に思ったのは建物の跡がたくさん残されているのに整備されていないことが子供心にも不思議でした。同じ年に歴史の授業で奈良時代のことを習いましたが、「幸福寺」とどうしても書きがちだったことを苦労して覚え直したことも回想しました。思い起こせば、その時点で興福寺が歩んで来た受難の歴史も理解出来ていれば、物事に対する真摯な取り組みという形にもつながっていたかもしれませんが。国宝館に並べられている阿修羅の像や、東金堂の薬師三尊像が実に美しい仏様だということも記憶に残っています。東大寺の大仏様と並んで、これらの思い出は今も大切に心に残されているのです。それから幾星霜。昨年も正倉院展へ行った際に参詣させていただきました。嬉しいことに中金堂が間もなく落成される姿を見て、少年時代の思い出が蘇ったりもしました。長い間続けられていた発掘作業も一段落したようで、広い敷地も以前のような落ち着きを取り戻しつつあると思いました。さらに南大門の再建という大きな計画も予定されていることも知り、薬師寺の再建のようになればいいなと願ってもいます。古都・奈良を象徴する重要な一場面に必ず登場する猿沢池も実は興福寺の敷地内でありました。さすがにこの周辺までも再び興福寺の寺域とすることは困難でしょうが、整備の手が進んで全盛時の風景がもし見られるとするならば、新しくて古い絶景となることは必然でしょうね。新しくするばかりが都市の再整備とは限らない。こんな矛盾も、古都ならば許されるかもしれませんね。
  • B!