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世界屈指の銀埋蔵量を誇った石見銀山、中世日本の発展を支えた重要な資金源となった銀鉱山

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数多くの戦国大名達が喉から手が出るほど欲しがった、ドル箱級の存在感を放った石見銀山

島根県大田市大森町にある石見銀山は、室町時代の頃から銀の採掘がはじまり、戦国時代から江戸時代の初期にかけて盛んに採掘が行われた世界屈指の銀鉱山なのです。

ほぼ時を同じくして、地球の反対側である南米のボリビアにあるポトシ銀山と同様に、その埋蔵量から銀鉱山の双璧を担って来たのは、何かの運命を感じさせる場所なのです。

銀は、現在でも貴金属として重宝されていますが、当時も非常に価値の高い金属として取り扱われ、石見銀山で産出された銀は中国大陸との交易を決済する為の資金として重宝されたばかりではなく、遠くスペイン・ポルトガルなどから運ばれてくる最先端の武器(鉄砲・大砲)や科学知識を仕入れる為の資金としても使われたのです。

当時は、戦国時代の真っただ中であっただけに、とりわけ石見銀山を支配する事が戦略上最も重要な事とされ、近隣の大名であった尼子・大内・毛利などが激しく争い、最終的には豊臣秀吉・徳川家康と言った天下人達の手に渡っていくのです。

戦争が終わり、太平の世になった江戸時代においても石見銀山の重要性は変わらず、石見銀山で産出された銀を元手に中国やオランダとの貿易を行ったり、大阪・京都・江戸の街を発展させ貨幣経済の発展に大きく貢献していったのです。

華やかな繁栄の裏に隠された数多くの犠牲者たち

歴史には、常に光と影が存在する様に、石見銀山も例外なく深く濃い影が存在しているのです。

それを象徴するのが五百羅漢座像で、石見銀山内にある羅漢寺でお参りする事が出来ます。
そもそもの起こりは、この石見銀山の坑内で労働に当たっていた抗夫達(劣悪な環境下であった為に早死にする者が多かったそうです)を供養する為に建てられたそうで、祀られている羅漢像は一体一体異なる表情をしているそうです。
戦国時代の歴史ファンには是非ともおススメのスポットです。

実は、銀ばかりではなく鉄(玉鋼)も作っていたメタル地帯であった石見銀山

石見銀山の周辺地図をご覧になるとお分かりいただけると思いますが、このあたり一帯は銀ばかりでなく良質な鉄(玉鋼)の産地であった事でも知られているのです。

日本刀に詳しい方はご存知でしょうが、日本刀の原材料である玉鋼は「たたら製鉄」によって産み出されます。
現在では、近隣の奥出雲町のみの生産となりましたが、中世では農機具や刀剣類の需要が莫大であった為に、石見銀山周辺部でも盛んにたたら製鉄が行われていたのです。
銀と鉄の大規模なメタル生産は、この地に大きな活気を招き、一説では最盛期の人口が20万人(同時代の京都にほぼ匹敵する規模)に及んだとも言われています。

石見銀山の口コミ・感想

世界遺産石見銀山

満足度
ニックネーム Hanbei
レビュースポットの場所 島根県大田市
日本最大級の銀山をご存知でしょうか。それは、鳥取県にある石見銀山です。戦国時代から大量の銀が取れることで有名だった石見銀山、その宝の山を狙ったとされるのが豊臣秀吉です。豊臣秀吉は石見銀山を自分のものにするために毛利家と戦ったとも言われています。2007年には世界遺産にも登録されました。石見銀山は世界的にも注目度が高く、当時にタイムスリップしたかのような感覚にしてくれるそんな素敵な場所になっています。
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