阿波踊りで知られる徳島県徳島市の中心部・東山手町に瑞巌寺という寺があります。
この寺は単なる観光名所というだけでなく、戦国時代から江戸時代の面白い2つの歴史が残っています。共通項は信念です。寺の開祖は一鶚禅師という僧です。元は戦国大名・三好氏の本拠があった勝瑞という場所にありましたが、江戸時代になって徳島藩主となった蜂須賀氏が一鶚禅師を招いて再興しました。
一鶚禅師はもともと甲斐国(山梨県)の恵林寺にいた臨済宗の僧で、師は武田信玄と縁が深く「心頭滅却すれば火も亦た涼し」の辞世を残した快川紹喜です。信長の軍勢に恵林寺が取り囲まれたとき、快川紹喜は焼き討ちで焼死しますが、寺の本尊を一鶚禅師に預けて逃がしました。武田信玄ゆかりの寺が遠い四国で復活した形なのです。境内の見所は自然の木々を活かして築かれた庭園です。眉山の麓にあるだけに、山の傾斜を巧みに利用した庭園は一見の価値あり。中でも面白いのがキリシタン灯篭です。その庭園の中に地蔵尊と偽り、マリア像を刻んだキリシタン灯篭がひっそりと立てられています。
戦国時代から江戸初期にかけて阿波国はたくさんのキリスト教徒が暮らしていたと伝えられます。ディオゴ結城というカトリックの福者に列された神父も阿波で生まれ、京都や大阪で布教していました。幕府がキリスト教を禁じるまで、徳島藩主の蜂須賀氏もディオゴ結城からカトリックの教えを学び、信者になっていたという説もあります。江戸時代になると、多くのキリシタンが捕らえられたという記録が古文書に残っていますから、そんなキリシタンの1人が信仰を守るため、立てたものでしょう。
寺を参拝するふりをして、こっそりマリア様に祈りを捧げていた人が多くいたはずです。近くには1年中、阿波踊りを鑑賞できる阿波おどり会館があります。阿波踊り見物のついでにこの寺の庭園を見学に行きましたが、寺の人からそんな歴史を聞かされ、驚きました。武田氏との縁を守って織田の軍門に下らなかった快川紹喜とその弟子一鶚禅師は信念の人です。そんな信念の人が再興した寺にキリスト教の信仰を守るという信念を持つ人がキリシタン灯篭を立てたのです。庭園を見学するときは、隠れた逸話を思い出しながら遠い昔を想像するのも歴史ファンの楽しみ方の1つかもしれません。