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明治維新への歴史的転換点となった功山寺の挙兵

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幕末史における有名な舞台となった功山寺

山口県下関市長府に建つ功山寺は、元治元年(1864年)12月15日の深夜、高杉晋作を筆頭に、伊藤俊輔(後の博文)石川小五郎らが配下の奇兵隊隊士を引き連れて、藩内でのクーデターを決行した出発点になるのです。

半年前の7月19日に京都で勃発した禁門の変の敗北を皮切りに、幕府の追討令と4ヵ国連合艦隊による下関攻撃など、相次ぐ戦役や外的圧力などにより、長州藩の内部は危機的な状況に立たされていたのです。

こうした中で、藩の首脳部では幕府に恭順する勢力(俗論党)が台頭し、実権を握った結果、尊王攘夷派であった高杉晋作は政治犯として追われる立場に立たされたのです。

それと同時に彼が創設した奇兵隊も藩の首脳部(俗論党)から解散命令が出され、明日にも路頭に迷う立場となっていたのです。

そんな時、高杉晋作は共に立ち上がろうと奇兵隊に対して訴え、(彼はこの時点では奇兵隊総督としての権限を剥奪されていた)これに呼応した80人の隊士がクーデターを決行し、これが発火点となって、最終的にはクーデターが成功し、長州藩は討幕・明治維新へと一気に突き進む事になるのです。

英雄 高杉晋作の一世一代の大勝負に臨んだ功山寺はいわゆるパワースポット的存在?

政敵から追われ、逃亡生活を余儀なくされていた高杉晋作が奇跡的な復権劇の幕を切って落とした功山寺。
鎌倉時代から続く禅寺として知られ、藩主毛利家の菩提寺としても知られたこの寺は、その歴史的な重みも合わさって、一種のパワースポット的な存在として感じられるのです。
これから受験など、大きな勝負や重大な商談に臨まれる方は、1度この功山寺を訪れて、心を清めてから勝負に臨んでみられるのも良いと思います。

「これより長州男児の肝っ玉を見せて御覧に入れまする」の名セリフで有名な雪の功山寺は冬がおススメ

功山寺と言えば、桜や紅葉が有名ですが、高杉晋作が都を追われ匿われていた5卿達の前で声高らかに宣言した名セリフは、雪が功山寺を白く覆っていた深夜と言われていますので、やはり功山寺は雪の季節が1番似合うなと個人的な思いがしています。

ただ、下関市に雪が降り積もる事はあまりないので、雪の時に訪れる事が出来た方は本当にラッキーな方だと思います。

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