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幕末日本最大の領土割譲危機となった彦島問題

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山口県の下関市に浮かぶ彦島と言う島を皆さんはご存知でしょうか?彦島は、下関市の西端に位置し、関門海峡の山口県側にある島です。

この島は、古来から瀬戸内海と中国大陸・朝鮮半島を結ぶ関門海峡の要衝として知られ、今日でも毎日多くの船が行き交い、文字通り日本の物流の大動脈として位置付けられています。

物流の大動脈彦島

彦島が特にクローズアップされたのは、文久3年(1863年)5月10日に長州藩が行った外国船砲撃事件(攘夷運動の発端とされる)を皮切りに、次々と行った砲撃行為作戦の中で、重要な前線基地が置かれた事に始まります。

そして、これらの行為に反撃すべく、元治元年(1864年)の8月に、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの4か国からなる連合艦隊が関門海峡で長州藩の砲台を船上から砲撃で撃破し、さらに陸兵を上陸させて制圧してしまったのです。

既に、同年の7月に起こった京都での禁門の変による敗北と徳川幕府による討伐を受けていた長州藩にこれ以上戦う余力は無く、長州藩の首脳部は脱藩の罪で投獄中であった高杉晋作に講和の使者として派遣する事を決定し、これを受諾した高杉は、連合艦隊司令長官のクーパー提督の元へ訪問し、紆余曲折を得ながらも、何とか講和が纏まりそうになりましたが、クーパー提督が講和の条件として彦島を租借(割譲)してもらいたいと持ち掛けたために、再び交渉が難航しそうになったそうです。

しかしこの時、高杉晋作が「古事記」のくだりを長々と論じ、煙に巻いた為に、結局は彦島の租借は、うやむやになったと言われています。

後年、この時に通訳官として同席していた伊藤博文は、「この彦島が租借されていたら香港や九龍半島の様になっていただろう」と述べています。

彦島のおすすめポイント

下関や関門海峡と言えば、壇ノ浦の戦いや巌流島の決闘などが有名ですが、日本の歴史と言う大きな目線で見た時、特に経済・軍事におけるこの海峡や彦島の重要性がありありと分かるのです。

地図を見ていただければ分かりますが、瀬戸内海と東シナ海との出入口は基本的に関門海峡しかなく、如何に海上交通の要衝であるかが分かるのです。
特に、彦島南公園から海峡を展望して頂ければ一番よく分かると思います。

大河ドラマで注目されている人気スポット

平成25年のNHK大河ドラマで注目されている長州藩が初めて外国と戦った場所として有名な関門海峡、そしてこの戦いで大いに敗北し、不利な立場で臨んだ講和条約の締結。

これらの難問に臆することなく立ち向かい、無事に日本を守り抜いた高杉晋作の英知と、彦島の戦略的重要性を見抜いたクーパー提督の野心、日本の香港や九龍半島になりかけた彦島を訪ねれば、当時の列強主義がありありと伝わってくると思います。

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